風間寺について

about kazamaji

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風間寺の縁起history of kazamaji

真恍浄攝瑞法龍神 真恍浄攝瑞法龍神
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風間寺の歴史

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元和元年(1615)大阪夏の陣により、約二万戸といわれた堺の町は全焼しました。
当時の堺奉行長谷川藤広は、堺の復興を同年六月十八日より実施し、実際に地割奉行として就任した風間六右衛門は、堺の町割を碁盤目のように計画、実施しました。これを元和の町割といいます。(戦前の旧市街地の町割は殆どがこの時のものです。)
しかし、六右衛門は実直な人だったため、当時、汚職・賄賂が蔓延していた堺の権力者達からの反感を買い、日蓮宗の熱心な信者であったことを理由に、寺の地割の際に日蓮宗の寺に広い土地を与えたという汚名を着せられてしまいます。
徳川幕府は、元和四年(1618)八月、六右衛門に江戸へ来るように命じました。堺の町のため、日蓮宗のために一身を捧げる覚悟を決めた六右衛門は、同月十五日、江戸に行くと称し自分が地割をした堺の町を出たこの地で割腹自刃しました。
「不惜身命院殿道喜日妙大居士」行年四十七歳でした。
堺の人々は六右衛門の死を悼み、自刃したこの地に風間堂を建立し、懇ろに供養したというのが、当山の始まりです。
現在の風間堂は、六右衛門400遠忌を記念して当山が檀信徒と共に、平成二十二年(2010)五月、新たに復興させたものです。
現在も元和の町割の町並みが残っていることからも、六右衛門が堺に残した功績は大変大きなものであることが分かります。

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真恍浄攝瑞法龍神様

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風間様が堺の町の地割をする際、枕元に龍神様が現れ、「地割をこうすれば堺は栄える」とのアイディアのようなお告げがありました。
風間様はお告げを参考に、今の堺の町の基礎を造りました。そのお陰で、堺の町は自由都市として栄えたとされています。
夢半ばで生涯をとじた風間様は龍神様におなりになり、今でも堺の町を御守護下さっています。以来、風間様を「真恍浄攝瑞法龍神様」といい、様々な想いを叶えて下さる龍神様として崇められる様になりました。

ご利益と参拝方法efficacy and visits

風間様 風間様
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ご利益

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家内安全・子孫繁栄・當病平癒・身体健全等
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参拝方法

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  1. 一.

    風間様に合掌します。

  2. 二.

    新しい手拭い・タオル等で風間様をおさすり下さい。
    ※おさすりになった手拭い・タオル等をお持ち帰りになり、お風呂で体を拭いたり、布巾や雑巾でお使い下さい。(風間様のご加護をお家にお持ち帰り下さい)
    ※硬いものや粗いもので風間様をおさすりにならないで下さい。

  3. 三.

    風間様に合掌します。

風間寺でお祀りする諸天善神worship at kazamaji

鬼子母神
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鬼子母神

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安産や子育ての神様として名高い鬼子母神ですが、もとは人の子をとって食らう悪鬼でした。そのため、鬼形鬼子母神といって恐ろしい姿に描かれ、また木像化されたものが今日まで多く伝わっています。しかし、仏の教えを聴いて懺悔し、正法に帰依して、法華の守護神となっています。そして江戸時代になると日蓮宗の祈祷が隆盛になり、特にこの鬼子母神は、日蓮宗の祈祷の対象としても崇められるようになりました。

大黒天
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大黒天

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七福神の一神であり、恵比寿・大黒として台所などに祀られる大黒天は、実はインドの神様なのです(梵名:マハーカーラ)。「新仏教辞典」には、「三宝を守護し、飲食を司る神で黒色忿怒相を示す。また戦闘・福徳の神として形像も種々」とあります。わが国では最澄が初めて三面大黒を祭り、神王形で三面六臂の右手に剣と人髪、左手に剣端と羊皮、また両手で象皮を捧げました。後に七福神の一として、頭巾をいただき、右手に打出小槌、左手で大袋を負い、俵を踏んで立ち、財宝の豊富を示すようになります。

妙見大菩薩
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妙見大菩薩

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北斗七星を神格化したのが、妙見大菩薩です。尊星(そんしょう)王、妙見尊星王、北辰(ほくしん)菩薩ともいわれます。国土を守り、災難を除去し、敵を退け、または人の寿命を延ばす福徳ある尊像です。古来、人間の一生は天文と関係していると考えられ、北半球では北斗七星がその中心とみなされていました。とくに眼病平癒のために修する法を妙見法といいます。形像は二臂(ひ)像、四臂像、竜に乗るもの、手のひらの上や蓮(はす)の上に北斗七星を置くものなどがありますが、一面四臂で二手に日と月とを捧(ささ)げ、二手に筆と紀籍(鬼籍)を持ち、青竜の上に乗るのが代表とされています。

山神様
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山神様

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農民の間では、「春になると山の神が山から下りてきて田の神となり、秋には再び山に戻る」という信仰があり、「山の神」と「田の神」という二つの意味がありました。一方、山民にとっての山の神は、自分たちの仕事の場である山を守護する神です。農民のように去来の観念はなく、常にその山にいるとされました。農民、山民に限らず、日本では死者は山中の常世に行って祖霊(先祖)となって子孫を見守るという信仰があります。また、正月にやってくるといわれる「年神」も山の神と同一視されます。当山では、家族を守護する山神様として「婆羅陀巍山神」をお祀りしています。

道案内map

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概要

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所在地 〒590-0912 堺市堺区並松町六番地
電話番号 072-238-0133
FAX 072-233-0540